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三越伊勢丹ホールディングス会長武藤信一氏――買い手本位厳しく貫く(追想録)
「武藤さんのことはご存じですか」
武藤氏の名前を初めて耳にしたのは伊勢丹社長になる前の1998年の米シアトル。買い物客の要望にノーと言わないことで有名な米百貨店、ノードストロームの副社長の口からだった。その後、海外小売りの幹部が関心を寄せる実力者の動静を追う担当になるとは予想だにしなかった。
ファッションを語れば百貨店業界で右に出るものはなく、売り手本位の商品提案とみれば有力取引先でも遠慮なく苦言を呈した。取引先の抵抗に遭いながらもブランド別に仕切られた売り場を見直し、買い物客の利便性を追求した伊勢丹新宿本店メンズ館はそんな武藤氏の思いが詰まる。
社内外問わず厳しい態度で仕事に臨むが、そこにエゴはなかった。オンワード樫山の広内武会長や三陽商会の杉浦昌彦社長は「激しくぶつかったけど、お互い引きずらなかった」と懐かしむ。
武藤氏が真骨頂を発揮したのは伊勢丹と三越の経営統合だ。勝ち組ではあったが「少子高齢化など、今後百貨店は厳しくなる」と三越の石塚邦雄社長に統合を持ちかける。交渉の結果、石塚社長は「経営風土が違いすぎる」と2006年12月に破談を申し入れた。だが、「お客様のためにも良質のロット(規模)が欠かせないし、成長には多様性も必要」と強く慰留。この会談で日本最大の百貨店、三越伊勢丹ホールディングスの誕生が事実上決まった。
根っからの商売人でもあった。08年7月に三越伊勢丹の経営陣が開いたマスコミとの懇親会。そこで「あの記者、ファッションに詳しいね。逆に取材したくなったよ」と話す武藤氏はバイヤーそのものだった。時に「君にはこれが似合う」とスーツやジャケットを薦める武藤氏を前に衝動買いした記者も数知れない。
統合後は武藤氏にとって苦難の連続だった。リーマン・ショックで売り上げが落ち込み、自身も病魔に襲われる。だが気力は衰えることなく、1月には復帰するつもりだったという。25日に東京都内のホテルで開いたお別れの会。参列者数は約3千人と長蛇の列をなし、志半ばで倒れた故人を惜しんでいた。
=1月6日没、64歳
(消費産業部次長
中村直文)











